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鯖街道とは?


鯖街道とは?

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小浜ではよく「京は遠ても十八里」と言われ、その「遠ても」という言葉には「京は近い」という思いが込められています。鯖をはじめとする多くの海産物や物資を運び、文化交流の道ともなった街道を、近年「鯖街道」と呼ぶようになりました。田村長はその「鯖街道」起点の和泉町で創業150余年の老舗です。


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鯖街道の由来

「鯖街道」とは、誰が名づけたかわからないけれど、そのものずばりの呼び方である。
小浜に伝わる古い文書で『市場仲買い文書』というのがあり、その中に「生鯖塩して荷い、京へ行き任る」という文章があります。
若狭から運ばれた鯖が、京の都へつく頃には丁度よい塩加減になったという意味ですが、いまも京の食文化の中に若狭の魚が生きているようです。
しかし、若狭から運ばれたものは鯖だけでなく、いろいろな海産物や文化が運ばれ、そして京からも雅やかな文化や工芸品などが小浜に入ってきました。
「鯖街道」という名前は、小浜から運ばれた代表的なものが鯖であったという事のようです。

鯖街道の歴史

板屋一助が1767年に著した『稚狭考』によると、本来は能登沖の鯖が有名で、それがとれなくなり、若狭の鯖が有名になったということのようです。
それらを運んだ鯖街道は1本だけでなく、5本ほどあったようです。その中でもっとも盛んに利用されたのが、小浜から熊川宿を通り滋賀県朽木村を通って、大原から鯖街道の終点といわれる出町に至る若狭街道です。
この道では大きな荷物を馬借という馬による輸送を行っていたようです。
さらには、小浜から北川の水路を使い馬で峠を越え九里半街道から今津に出て、琵琶湖を使って京へ運んだ水路もあったようです。

また、京への最短距離をとる峠道として、「針畑越え」があり、この道は鞍馬経由で京都出町に至っています。
また、堀越峠を越えて京都高尾へつながる「周山街道」や、美浜町(現在若狭町)新座から滋賀県マキノ町へ抜ける「栗柄越え」や、遠く兵庫県の篠山までもつながっていたといわれます。
これらの鯖街道のルーツは、奈良、飛鳥時代に若狭の国が「御食国」と呼ばれ、朝廷に税として塩や塩漬けした魚介類を納めていた頃に遡ります。 かつてこの若狭は「裏日本」ではなく、大陸文化を受け入れる表玄関となっていたところです。
良好なリアス式海岸を持つ若狭湾は絶好の漁場であり、それらの魚は塩漬けにされ、朝廷に貢いでいたことは、平城京跡から多数の木簡が出土されていることで証明されています。

若狭の海の幸は奈良の高官の口を楽しませ、やがて京へ都が移ってからも、京の都の人々に「若狭もの」と称され、「若狭かれい」「若狭ぐじ」と今も京料理には欠かせないものとなっているようです。

鯖街道を歩く

話を街道にもどすと、現在、最もポピュラーな鯖街道は、小浜から熊川宿を抜け、朽木、大原、出町へと続く道だ、と書きましたが、特に熊川宿は人家の前の、生活用の前川と呼ばれる小川が流れる古い町並みを整備し、昔のまんまの風情を取り戻して多くの旅人の人気を集めております。
朽木村から大原へ抜ける道は、近年整備され道幅も広くなってより多くの車が楽に通れるようになり、花折峠と朽木村の間は、別名「鯖寿司街道」と呼ばれるほど鯖寿司屋が店を連ね、多くの旅人が車を止めて買い求めているようです。

私がお奨めする鯖街道は、私自身が京へ歩いて通る、針畑越えです。小浜からお水送りで有名な神宮寺、若狭彦、姫神社をへて根来坂を越えてゆく街道で、中世には姫神社の神前に市場が立った記録もあるほど歴史的な道なのです。
かつては徳川家康公も通ったとされるこの道、古くは象が小浜に陸揚げされて多くの南蛮渡来品と共に通った道。歴史に思いをはせながら、ブナ林、針畑の里山風景の中を歩いてみてはどうでしょうか。
途中、久多という村で一泊し、地鶏の鍋をつつきながらの一杯は、旅の思い出となるでしょうし、翌日越えるオグロ坂、八丁平への険しい道にそなえたエネルギー源にもなることでしょう。
翌朝七時には八丁平へ向けて出発し、大見神社を経て花脊峠まで来れば、鞍馬はもうすぐそこ。賀茂川に出れば出町まであと一歩、気ははやります。
出町の商店街はいかにも京の下町という風情で、私共が鯖街道を歩くイベントで多くの人と訪れるときには、理事長はじめ多くの方々が温かく出迎えてくれます。

われわれは歩いて一泊二日の旅でしたが、昔はそんな悠長なことはしていられなかったようで、一昼夜かけて、夜通し歩いたようです。 毎年五月には「鯖街道マラニック」というイベントがあり、速い人は朝六時に小浜泉町の起点を出発し、昼過ぎの二時には終点出町に着くという、まさに鉄人の競技です。
その昔もそれくらいの強者がいて、鯖や甘鯛などを運んでいたのでしょう。

鯖街道に魅せられて

鯖街道は京からさまざまな文化と伝統を小浜にもたらしました。
それらは今も小浜の町に京言葉の名残を残し、俳句、お茶の作法、芋棒などの家庭料理、そして祇園祭に代表される多くの祭、なかでも放生祭の演じ物は祇園祭のお神輿につく賑やかしの名残で、京の雅な雰囲気を今に伝えています。

このように鯖街道による人の往来の中で、お互いの文化や生活習慣を吸収し、高め合い、それぞれの土地でそれぞれの文化や歴史を育んできたのでしょう。
今は車で2時間足らずのこの道を、先日も2日かけて歩いてみて、先人の残した、「京は遠ても十八里」という言葉の意味が少し解ったような・・・、そんな思いにかられました。私事ではありますが、京文化と小浜の文化の融合という観点から、この小浜の地に伝わる築120年の町屋を改築して、鯖寿司や懐石料理を提供する食事処を開店いたしました。