若狭小浜 放生祭(ほうぜまつり)
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△平成15年放生祭


山車
飛鳥区の舞台型山車を除きすべて屋根付き二階造り、一階の前部に出囃子を張り出す。10数曲から20数曲の囃子を持ち、一階には大太鼓・小太鼓、二階には笛の囃子方が乗り込み道行きする。
神社や各区の本陣前では、出囃子で子供2人が小太鼓を打つ。江戸時代、祇園祭礼の頃の山車は、「布袋山」・「大黒山」・「行者山」等人形を飾った山車であった。

 
清滝区
旧町名から「大津町山」という。江戸時代には、藩主から下賜された大小の刀を飾っていた。現在の山車は慶応4年に建造。見送りは芸術院会員の山鹿清華氏による豪華な綴織り。
今宮区
江戸時代には突抜町の「行者山」と上市場・下市場・安居町の「高砂山」の二基の山車があり、これらの装飾品を随所に用いている。昭和3年に復興し、「今宮山」と名付ける。
竜田区
明治35年、竹内宿祢を体した「大臣山」として建造された。毛槍につけた旗には「忠孝」「仁義」の文字が見える。出囃子には唐破風の屋根が付いている。
飛鳥区
大正3年、舞踏を披露する舞台型の山車として建造された。神社や各区の本陣前では小学校低学年の児童がかわいい踊りを披露し人気を博する。
塩竈区
明治40年それまでの「作物」「引物」等に代わり山車で参加するようになる。見送りが「尉と姥」の図であることから「高砂山」と名付けた。昭和2年に漆塗りに改装。
生玉区
富沢町(本町)は、延宝7年(1679)は「進上山」延宝8年以降は「夷山」を祇園祭礼に出していた伝統を持つ。現在も「蛭子山」と称し、本陣飾りに蛭子人形が残る。
酒井区
質屋町の「布袋山」も、延宝7年からの伝統を持つ。現在の山車は明治34年に建造、大正15年に塗と金具を新調した。二階には布袋面と唐子人形を飾り付ける。
貴船区
江戸時代の祇園祭礼には文殊丸町・浜浦町は「参宮」や「異国来朝」の練り子を出していた。「貴船山」は明治36年に金具などを改装した。
浅間区
浅間区は他区と異なり、笛や太鼓にくわえ鉦やジャンボンを使い、清元・端唄・長唄のメロディーを取り入れた囃子を演奏する 山車の容姿もまた独特な形状である。
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